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今更だけど毎年恒例の靖国神社とかのこと

若者が政治離れしてるってずーっとずーっと聞いてるんですけど学生運動以来かしらね。

うちのばーちゃんのお兄さん(とてもハンサム)は戦争で東南アジアに行ったときに戦死した。当然骨なんか帰ってこなかったんだけどばーちゃんにはとてもやさしくてそれはそれは良くかわいがってくれたお兄さんらしい。大昔のことなのに絶望に近い悲しい記憶っていうのはどんなに時間がたっても払拭されないらしく

て、おばあちゃんはその話はあまりしたがらない。年を取ると自分の良かった時代や強く印象に残っている時に気持ちが集約されてしまうらしくて、自分がばりばり働いていたときのことや戦争前後のことを思い出しては回想にふけっているのが孫の私にも理解できる。
で、ばーちゃんは「国のために立派に戦って死ぬ(死ぬために戦う)」というのは如何にナンセンスか肌で感じて知っているし、教育勅語なんて替え歌しか暗記していないような天皇のことだって普通の人間だとどこかで思っていた当時の田舎では普通の子供だったし、特に信心深いってわけでもない。うちのばーち

ゃんを一般論に当てはめちゃうのもナンセンスかもしれないけど、彼女は靖国神社に対してお兄さんが眠るところだって認識しているみたいだ。ばーちゃんに弟が靖国カレンダーを買っていってついでにばーちゃんの兄さんのお参りもしてきてお経もあげてもらったよって言うと掛け値なしに純粋に喜ぶ。お兄さんも喜

んではるわと言う。戦地に赴いて骨も残らなくってただ紙っぺらで亡くなったって届いたって残された者はどこに気持ちを持っていけばいいんだろう。日本人は肉体に魂が宿っているという考え方を強く持っている国民だと思うんだけど、なにそんな胡散臭い話とか言われるかもしれないが、たとえが悪いけど日航機

墜落事故の時に沢山の人が山の中で亡くなってしまってご遺体を運んでいるときに、アメリカ人たちは「肉体は死んでしまった、魂は天国に行った」という具合にぞんざいに散らばった体の一部を扱ったらしい。けど日本人は遺体をそれ以上人間の手で傷つけてはならないと懸命に説明を続けたという。なぜな

らば日本人の中には肉体が死んでもそのなかに宿っていた魂は焼いてしまうか埋めてしまうまでその人のなかにまだとどまっていると考えるからだそうで、そういうのって普段は実感していないけど、臓器移植とかが他の先進国よりも少ないということからも想像できるんじゃないか。そういうわけで私たちは魂というも

のに対して特別な思いがあると思う。現世とあの世をつなぐ何かがあるはずだって潜在意識の中で信じている。だから心のよりどころを求めてしまうんじゃないかなぁと。みんなてんでばらばらになってしまったけど死んだらどこそこで会えるよねって思ったらなんとなく救われたような気がしないかな。靖国神社っていう

のは犯罪を犯した人たちを祭っているろくでもない神社とか言われて叩かれまくっているけど、死んだ人の尊厳が守られている、肉体がどこにいったか分からないけどあそこの神社に集まっている、そういう風に考えている人もいるのだ。そもそも戦犯の扱いって言うのは国内国外で全く違ってしまうもので、戦争に

負けたからこそ外国に裁かれてしまっているだけでもちろん日本の場合は国内法で裁判がなされたわけでもないし、もし戦争に勝っていたとしたら当然裁きなんか受けない。A級とかって分け方は先の戦争でその人が担った役割に応じてつけられたものって聞いているけど、それに付加価値をつけちゃって虐殺と

かそういうことをやった人たちだからひどいとかって感情論を議論し合うってのはおかしな話だ。つい15年くらい前まで従軍慰安婦問題とか騒いでいたのに赤い人たちが突っ突いたおかげで今度は靖国靖国だ。日本がGHQに占領された時本当に靖国はどーしよーもない神社だとすればとっくに壊されているか

焼かれてなくなっているはずだ。教科書に墨まで塗って徹底した改革をされたんだから。靖国神社を残したってのは天皇制を残したと同様、他の国の人にはわからない日本人にだって普段は気づかない何かを感じたからに他ならないと思うのだけれど。

まぁそんなわけで靖国神社の参拝を総理が止めたってどうせ次のねたで大騒ぎするんだから人間の精神レベルってのはいつまでたっても向上しないのだなぁ。
by yahji_sali83 | 2006-08-22 22:00 | 過去(北欧時代)
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